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植物が、人と人をつなぐ

社会

 

日本人の植物に対する熱は、江戸時代からすごかったようです。江戸時代の人々は花や草木で四季の移ろいを楽しんでおり、植木鉢の登場で広まった鉢植えは、人々の生活を描いた浮世絵にしばしば登場するなど身近な存在でありました。

「浮世絵」は当時人気の「エンターテイメント・メディア」といえたようです。それゆえ、今当時の人が熱心に見ていた世界を、その浮世絵からうかがい知ることができます。

そこには、家で育てて楽しむためのものに加え、変種や造菊など見世物として評判を呼んだものも描かれています。植物を愛でる当時の人々の姿と、現代の私たちはそう変わらないことが良くわかります。

庶民は地方からやってきた人も多く、大都会で暮らす彼らの癒しとなったのが園芸植物でした。江戸の面積の15%が町家で、そこに60万人が密集して暮らしていたそうです。狭い場所だからこそ、人は植物とつながり、楽しみや喜びのある暮らしをしていたのかもしれません。

 

園芸が広まったきっかけ

今日では、すっかり春の風物詩として定着している花見ですが、以前は庶民にはほど遠い上流階級のための行楽でした。8代将軍吉宗の時代に幕府の施策により、桜を中心とした花見の名所が江戸のあちこちに登場したのをきっかけに、庶民も気軽に楽しむようになっていきます。やがて、江戸後期には花名所ガイドブックも出版され、四季折々の花を観賞することが年中行事として考えられるようになってきました。

さらに、18世紀半ばになると、その楽しみは鉢植えという形で取り込まれ、庭を持たない多くの江戸庶民でも身近な園芸を楽しめるようになりました。

 

鉢植えを選んでいる様子。梅が欲しいのか、イケメンを見ているのか[風俗東之錦 鳥居清長 個人蔵]

 

さながらアミューズメントパークのメインディスプレイといった感じ[百種接分菊 歌川国芳 個人蔵]

 

園芸を趣味とする人々の中には、歌舞伎役者もいました。東海道四谷怪談などの怪談ものの名手として知られる三代目尾上菊五郎は、庭に植木棚や現在の温室にあたる室(むろ)を備え、多様な植物を育てました。一方、歌舞伎の舞台では、植木売りという役柄が登場したり、小道具として鉢植えが飾られたりしています。

引用:「植物生活」編集部

 

 

下町で生まれ育った私の近所は、狭い路地にも拘わらず、いつも人で賑わっていました。小庭とも言えないほどの小さなスペースで、自分の好きな植物や花を大切に育て毎日が品評会のようで、お互いに自慢をしあったり苗や株を分けあったり、「植物が人と人をつなぐ」ものだったと、今になって…思います。

決して贅沢ではありませんが、育てた植物は食事の付け合わせで食卓に並び、花はコップに一輪挿して華やかにしてくれました。その当時は、植物からの恩恵を全く感じてはいませんでした。なぜなら、それが決して特別なことでなく、当たり前の日常の景色の一部でしかなかったからです。いつも、植物と人の気配を感じながら生活していたこと、その風景は今でも変わらず、私の原風景です。

 

自分で育てた植物を介してコミュニティをつくり、お互いが自慢し合ったり、教え合ったりすることができる、そんな『人らしさ』のある時間や暮らしを創っていきたいと思います。