植物を育てる時の心持ち
大切にしていること
植物は命があり生きています。いまさら何?と思いますよね。
わたしは植物に携わること20年が経ちました。独立する前は、観葉植物のリース会社で個人邸、オフィス、商業施設、病院とありとあらゆる環境下で植物と触れ合ってきました。その頃は、リースなのでクレームを出さないために枯らさないことが第一でした。植物を大切にする気持ちは持っていましたが、キレイで商品価値のある植物に育てることだけが先行していたかもしれないと、ある時から思うようになりました。
独立してからは、この植物はこの場所にこういう形で置いてあげた方が長持ちする、ということに加えて、この子たちの隠れた特性や表情を引き出してあげることができないだろうかと試行錯誤しながらテストを繰り返しています。そのため意図的に厳しい環境下で育てることもあります。仕立てを変えて新しい表情を生み出すこともあります。このように想定外の結果が出たりするのを目の当たりにすると植物の生命力や進化性をリスペクトするばかりです。
よく聞く言葉があります、「枯れてしまって」と。みなさんもあると思います。そんな枯らした時の私の心情の多くは植物をモノとして扱っている時に起こります。時間に追われている時、気分が良くない時などです。でも、これって植物には関係ないことで私自身の問題ですよね。そんな時、ふと思ったことがあります。それは植物って生き物で生命あるもの、人と同じ接し方をすればいいんだ!と。愛情を履き違えると過保護になったり、愛情不足になったりします。それは人も一緒だと思います。
上手にキレイに育ててあげよう、という気持ちはとてもいいことです。でも、その気持が強すぎると時にはそれが逆効果になることもあるような気がします。「育てる」から「見守る」、そしてその子の隠れている輝きを引き出してあげる接し方がとても心地よく、今はいい距離感で植物と接することができるようになりました。植物は生命あるものなので、いつかは枯れます。だからこそ枯らさないための施しをして、その子の治癒力を高めて健康で強く長生きしてもらえるような接し方を模索しながら楽しませてもらっています。